明智(長山)城
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土岐頼兼が、1342年美濃国可児郡明智庄長山に明智城を築城したといわれる。
1556年9月19日、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受け、明智城代明智光安一族らは870余人を集めて籠城したという。
しかし義龍軍は3,700余の軍勢で2日間にわたり攻撃を行う。光安は光秀に明智家再興を託し、弟光久と自刃したという。
この時、光秀は明智城から逃れたと明智軍記にあるが証明するものはない。(ウイッキペディアより)

明智城の登り口、桔梗坂と書いてある。
登ってしばらくすると土塁跡らしきものが見える。
ここはよく残っている、土塁跡
大手門跡
本丸二の丸の続く石だたみ
二の丸跡
馬の攻撃をよける柵
本丸跡
本丸跡の建つ明智城址の碑
本丸跡ひろい
空堀跡
砦跡