遠江 飯田城・真田山城
                          
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2016年2月東海古城研究会に企画に参加。遠州森町南部にある飯田城と真田山城を訪ねる。
飯田古城は1400年(応永7)頃、飯田山内氏の初代山内道美(どうび)によって築城。山内道美の寄進状に記された崇信寺が古城跡。
寺の山門西側から本堂西側へかけては土塁が残る。道美・久通の2代にわたり居住。その後築かれた新城が飯田城と称されるようになった。
飯田山内氏は代々今川氏に被官していたが、3代目通泰に信長による義元死後も今川氏に忠義を尽くし家康軍に攻められ討死。
その子豊道は岩倉織田信安に使えるが、信長との岩倉合戦で戦死また浮野の戦いで戦死との説もある。
初代土佐藩主山内一豊は豊道の三男。


真田山城は、遠江一宮小国神社が鎮座する谷間の、谷がさらに狭くなる部分の東側の丘陵に位置している。戦国期武田方に属した武藤氏が
徳川軍の侵攻に備えて築いた山城。主廓、土塁、堀切、竪掘、虎口が残る。主廓の谷部に現在でも湧水点が確認できる。

おまけ
森町にある大洞院の門前に清水の次郎長の子分 森の石松の墓がある。
石松は江戸時代後期に活躍した侠客といわれているが定かではない。     (参考文献  東海古城研究会資料より)