前に戻る TOPPAGE
2011年7月23日、豊橋市二川町に残る東海道二川宿の本陣、脇本陣を訪ねました。
本陣とは、江戸時代、公家、大名、幕府役人などが宿泊、休憩した施設。江戸時代後期の東海道の宿場には111軒の本陣があったが、
現在は二川宿と草津宿の2箇所しか残っていない。
二川宿本陣馬場家は、武田信玄の家臣馬場美濃守信房の流れをくみ、江戸時代初期に伊勢国から二川に移住したと伝えられている。
伊勢屋の屋号で酒造業や穀物商を営んでいたが、文化3年の火災後本陣職を継いだ。
二川宿の旅籠屋は、多いときで40軒、少ないときで20軒の旅籠屋があった。
本陣の入り口を街道からのぞいたところ | |
本陣の入り口です。 | |
大名達はここまで籠に乗って入る。 | |
荷物置き場 | |
立派な井戸 | |
このような籠にのって大名達が泊まった。 | |
大名が泊まる部屋。一段高くなっている。 | |
大名が使ったお風呂。 | |
さてこれはなんでしょう。そうです大名の小用便所です。 | |
これも大名が大便する場所 | |
大名の部屋から見るとこんな感じに見える庭園 | |
街道から見た本陣 | |
本陣の正面。主屋は宝暦3年(1753年)の火災後に建築。 嘉永3年に大修理を受けている。 |
|
本陣の隣が旅籠屋清明屋です。脇本陣を勤めていました。 | |
旅籠の入り口、本物そっくりの人形が出迎えてくれます。 | |
本陣の正門。薬医門という形式で、文化4年に建築された。 | |
本陣の全景、本陣開設当初は、間口17間半(32m)、敷地 面積525坪,建坪181坪半と宿内一の建物でした。その後、 安政年間には建坪も233坪半と増加した。 |