郡上八幡城
戦国時代末期の永禄2年(1592)、遠藤盛数が八幡山の上に砦を築いたことが郡上八幡城の起源である。 その後盛数の長男慶隆が城主となったが、本能寺の変後羽柴秀吉と対立する織田信孝傘下に属していたため追放される。慶隆追放後稲葉貞道が一時城主となり、この際に天守や二の丸などが建造されている。その後関が原の戦いの功により再び慶隆が城主となり、以来廃藩置県まで郡上藩の藩庁となる。5代藩主常久まで遠藤氏が城主となり、以下井上氏2代、金森氏2代、青山氏7代と城主が変遷。青山幸宜が藩主の際に明治維新を迎え、廃藩置県により廃城となる。廃城の翌年、石垣のみを残し取り壊わされる。(ウィキペディアより抜粋)
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
TOPPAGE お城リスト