『土岐累代記』によれば土岐頼康、また『新撰美濃志』によればその弟の土岐頼雄1343年に築城したという。
いずれにしても頼雄が城主となって揖斐氏名乗り、子孫が代々後を継いだ。1543年の斎藤道三よる攻撃で落城した。
その後は揖斐氏の家臣・堀池氏が居城としたが、織田信長の美濃国侵攻に伴い、稲葉良通によって城は陥落した。
天正年間の半ばには良通の子・稲葉貞道が城主となっている。後に破却され、跡地には揖斐陣屋が建てられた。
揖斐城へと続く入り口 | |
なだらかな坂道が続く | |
なだらかな坂道がけっこう続く | |
しつこく続く | |
やっと頂上の平地に到着、片隅に揖斐城跡の石碑があった。 | |
常夜灯 | |
麓に一心寺という寺がある。 | |
ここは1830年創建の浄土宗のお寺。 開祖は槍ヶ岳を開山した幡隆上人 |
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堀跡か | |
土塁跡か | |
空堀跡か | |
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