稲葉一族の史跡を訪ねる

稲葉家発祥の地池田町の稲葉一族の史跡を訪ねる。
稲葉家初代の塩塵(えんじん)はもと河野氏で伊予国(愛媛県)から美濃池田に来て、性を稲葉と改めた。
その後塩塵の孫一鉄の頃1583年には西美濃一帯に勢力を拡大して支配する。


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池田恒興の墓
池田恒興の長男 元助の墓。
稲葉家の祖塩塵ゆかりの安国寺。
安国寺には一鉄の叔父にあたる稲葉白雲斎の墓もある。
白雲斎は稲葉家の主君土岐氏を滅ぼした
斎藤道三に報復するためこの寺にひそんで
千人斬をくわだてたという。
美濃国守土岐頼忠の築城。
その後土岐氏の家臣国枝大和守為助がここに居城する。
関ケ原の戦いで西軍に属したため東軍により城は焼き払われた
二重の堀と土塁を巡らした輪郭式平城。
東西116m、西辺149m、東辺68mの規模。
現在は内郭の櫓台を含む35m四方程が残ってりる。
周りは畑と民家に隠れている。
稲葉一族の墓。元養源院の敷地内にある。
牧田合戦1525年で戦死した父兄6人と
先祖の供養のため、一鉄が建立。
一鉄の祖父塩塵の墓
ここには池田恒興の父恒利の墓もある
一鉄の父道則の墓
一鉄の兄通勝・通房・他一族の墓