伊勢長島城及び木造城を巡る

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長島城跡地。現在長島中部小学校、長島中学校の敷地となっている。
有名な長島一向一揆の拠点となる。
1235年藤原道家により築城後、
1482年伊勢国主北畠家の家臣の伊藤重治が築城。
長島中部小学校内にある大松。
旧長島城本丸西南隅にあった。
校庭に無断で入れないので校庭外から望遠で撮影。
松の大きさがわかる。桑名市指定天然記念物。
樹齢三百数十年の黒松。
旧長島城の堀跡か。
江戸に入って、増山氏が長島藩2万石の領主となり、
その重職の久我家の屋敷。
家屋は明治12年(1879年)に建築されたもの
願證寺です。
織田信長と長島の一向宗門徒の間で
起こった一向一揆の舞台となった寺。
当時の寺は明治期の河川改修工事によって、
長良川の川底に沈んでしまったので新しく現在地に建て替えた。
願證寺の正面。門正面に金文字で
長島御坊の文字が輝いている。
信長との一向一揆の激しい戦いで
亡くなった方の殉教の碑
旧長島城の大手門。蓮正寺の門として移築。
大手門を裏側から撮影。立派な高麗門。
木造(コツクリ)城跡。1366年)木造顕俊によって築かれた。
木造城の歴史は、1366年(正平21年)北畠大納言顕能(あきよし)の
三男顕俊が築城。
顕俊は木造氏とあらため、初代城主としてこの付近一帯を
支配した。現在の城址は、1528年(享禄元年)7代城主木造俊茂が
古城の北300mに新たに城を築き、1584年(天正12年)に城を明け渡す
まで使われた。
木造城の石碑
古城周辺は農地が広がっている。
城跡の遺構らしきものは残っていない。