天皇御陵を巡る
初代神武天皇から2代綏靖天皇、3代安寧天皇、4代懿徳天皇、
5代孝昭天皇、6代孝安天皇、8代孝元天皇陵を訪ねる
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橿原神宮の大鳥居。天皇が訪問される のを機会に新調したらしい。 |
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橿原神宮。 畝傍山の北東麓、神武天皇の橿原宮の 跡地に明治になって整備された。 |
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橿原神宮の通路柱と灯篭の美。 | |
今年の干支イノシシの絵馬。 | |
畝傍山東北陵(初代神武天皇陵)。 周囲約400Mの方形に囲まれており、 陵は円丘墳となっている。 |
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桃花鳥田丘上陵(2代綏靖天皇陵)。 神武天皇陵のすぐ北側にある。 江戸時代はこちらが神武天皇陵とされていた。 |
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スイゼン塚古墳。 | |
畝傍山西御陰井上陵(第3代安寧天皇陵)。 二代スイゼイ天皇の皇子で即位後38年で崩御したとされます。 |
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4代懿徳天皇陵へいく道。 遠くに見えるのがマナゴ山が陵になる。 |
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第4代威徳天皇陵。山形墳です。 | |
剣池嶋上陵(第8代孝元天皇)。前方後円墳です。 剣池と呼ばれるため池に北西に向けて半島のように突き出た形。 |
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玉手丘上陵(第6代孝安天皇陵)。 円丘墳です。 |
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大和盆地の南部、飛鳥から西に丘陵を越えたところにある。 | |
第6代孝安天皇 | |
倭武尊の墓の全容。 | |
倭武尊墓。 12代景行天皇皇子で 14代仲哀天皇の父にあたる。 他に鈴鹿の能褒野王塚古墳、 大阪羽曳野市白鳥塚古墳の3か所ある。 |
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第5代孝昭天皇陵。山形墳です。 4代までの天皇陵が畝傍山近辺に あるのに対して、より南の現在の御所市にある。 大和朝廷がより南部に軸を動かしていることを反映しているかも。 |
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飯豊天皇陵に向かう。 記紀には天皇と記されていないし、 歴代天皇に入っていない。 |
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飯豊皇女陵。22代清寧天皇に後継皇子をぎがなく、 17代履中天皇の孫の二人を葛城系皇子を後継ぎに しようとしたがうまくいかず、臨時に天皇職を執り行った のが飯豊皇女であった。 |
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飯豊皇女陵の前部分。 |