加 納 城       TOPPAGEへ       前に戻る

1445年に川手城備えのため、土岐氏の家臣斎藤利永よって沓井城として築城された。船田合戦では斎藤妙純の居城となっていた。
しかし、徳川家康は、1601年、娘婿の奥平信昌を加納城主として10万石を与え、また亀姫の粧田として2千石を給した。
築城は岐阜城落城の翌年で、岐阜城の館邸を加納に移して修築した。本丸、ニ之丸、三之丸、厩曲輪、南曲輪(大薮曲輪)などを備え、関ヶ原戦後初の本格的城郭であった。
加納城歴代城主は、奥平氏の後、大久保氏、戸田氏、安藤氏と変遷し最後の永井氏の時代に明治維新を迎えた。明治2年加納城第16代城主、永井肥前守尚服が版籍を奉還し、加納藩は同年7月14日に廃藩に至った。加納城跡は、この本丸のほかは二之丸北側の石垣をわずかに残している。

当時の面影をしのばせる石垣
二の丸跡にひときは大きな木
石垣と廓の跡
本丸跡
堅固な石垣