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築城年代は不明。中世には稲葉氏が数代にわたって居城とし、1468年に稲葉氏が東濃にへ移った後は、斎藤道三が在城した。
1559年には織田信長と斎藤竜興の勢力争いが当地であり、翌1560年(永禄3年)に織田家の家臣・池田恒興の家老である片桐俊元が修築して居城した。
1589年(天正7年)に豊臣秀吉の家臣が軽海西城に移って6万石を領した。
その後廃城後に円長寺となって現在に至る。昭和初期には城郭の遺構も一部に残っていた。 (ウィッキペディアより)
ここが軽海西城。カルミニシジョウと読みます。斎藤道三が一時 居住していたお城。誘導案内もなく判りにくい。 |
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現在は円長寺となっている。 | |
ここが円長寺の本堂。みすぼらしい。過去の栄華は想像できない。 | |
土塁、堀跡らしきものはない。 | |
鐘楼の後ろの林が古城らしき雰囲気を残している。 |