甲賀流忍者の里を訪ねる

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大池寺(だいちじ)は、今から約1250年前、天平年間(729〜784)諸国行脚の高僧、
行基菩薩(668〜749)がこの地(現在の滋賀県甲賀郡水口町名坂)を
訪れた際、日照りに悩む農民のため、灌漑用水として、「心」という字の
形に4つの池を掘り、その中央に寺を建立し、一彫りごとに三拝したという
「一刀三礼の釈迦丈六坐像」を安置したと伝承されている
大池寺内には、本堂・庫裡・茶室・隠寮・書院・鐘楼・土蔵・弁天堂
などがあるが、中でも本堂は、大池寺再興以来、当時のままを保ち
それは禅宗建築における仏殿様式で床は瓦敷きとなっている
臥龍の松、一本の松の枝があたかも龍が伏せているように見える
臥龍の松
小堀遠州作の蓬莱庭園、江戸初期寛永年間の作。
サツキの大刈り込み観賞式枯山水庭園です。
大洋の大波小波を現し、白砂の水面上に刈り込みをもって
宝船を浮かべ中に七つの石と小さな刈り込みで七宝と七福神
を象徴している。
縁先の右側に刈り込みによる亀島を配している。
亀の頭がかわいらしい。
宝船にみえますか。
座敷からみた庭園。五月下旬のサツキが
咲く季節にもう一度訪ねて見たい。
甲賀流忍者屋敷です。甲賀流忍者望月出雲守の屋敷跡。
300年以上経っている。現存する忍者屋敷はここだけ。
外見は普通の平屋の農家風、中は3階になっている。
玄関には当時薬屋を営んでいたので薬の看板がかかっていた。
扉に取っ手のない戸、一枚の板で非常に厚みがある。
取っ手がないので開けることができない。
昔は三方このような扉でかこまれていた。
進入してきた賊を閉じ込める部屋に使った。
押入れの底板をはずすとそこが落とし穴になっている。
そこから隣の分家に地下で繋がっていた。
昔はなかった地下水がたまっていた。
薬屋を営んでいたときの看板
湖南三山のひとつ善水寺。国宝です。
奈良時代和銅年間(708〜715)元明天皇勅命
により鎮護国家の道場として草創され、和銅寺と号した。
後に、京の都で桓武天皇御悩の際、大師,霊仏出現の池水を以って薬師仏の宝前にて病気平癒の祈祷、医王善逝の秘法を修すること七日、満行なってこの霊水を天皇に献上されたところ、御悩忽ち平癒された。この縁に依って岩根山善水寺の寺号を賜わったという。

本堂の屋根には立派ね鬼瓦が鎮座しておりました。
南北朝時代、貞治五年(1366)再建。
木造入母屋造桧皮葺、桁行七間、梁間五間。天台密教仏殿。
正面に向拝を持たないため美しい屋根の曲線が覗える。
本尊薬師如来をはじめ三十余躯の仏像を安置する。
明治32年重要保護建造物に指定、翌33年には解体修理をうける。
昭和29年国宝指定
百伝の池(ももつてのいけ)。
桓武天皇にこの水を献上したところ病気が治ったといわれている。
だれでもペットボトルに汲んで持ち帰ることができる。