光秀ゆかりの丹波黒井城を訪ねる

南北朝時代の建武2年1335、春日部荘を領した赤松貞範が築城した。その後約200年後戦国時代に天文23年1554,
あらたに城主となった荻野(赤井)悪右衛門直正が勢力を丹波一円に広げ黒井城を大改修し、
規模雄大な戦国の城を築き上げた。戦国時代のやまじろの様子をそのままに残しており国の指定史跡となっている。
山麓には下館があり城主が平時には住んでいた。現在そのあとが興禅寺となっている。
天正3年1575信長は光秀に丹波攻略を命じたが、八上城主波多野秀治と黒井城主の萩野悪右衛門直正が最後まで抵抗したが落城する。
戦後処理の為、黒井城に入ったのが光秀の部下斎藤内蔵助利三です。黒井城の下館を陣屋とし、西丹波一円の治安にあたった。
利三は亀山城と往来を重ねながら天正9年まで3年間この地に住んだ。この間天正7年の年の瀬の押し迫った頃、生まれたのがお福(後の春日局)です。お福の産湯井戸、お福の腰かけ石などが残っています。


興禅寺の山門楼門です。宮津市の智源寺から移築された。
創建年代は未詳です。
寺の周りの大きな堀割り。
本堂です。
お福産湯の井戸です。
井戸は深さ1.7メートルで清らかな水をたたえています。
黒井城の登山口です。
ここから約40-50分かけて本丸到着。
右側は深い谷底。狭い道が続きます。
左側は深い谷底。
木の根っこが路に縦横に伸びており滑り止めになっている。
登山口から20分経過、山の中。
石踏みの段跡が右側にありました。
途中に見張らしいのいい場所にでました。
本丸近くにありましたが何の建物か不明。
東曲輪跡の残る井石垣。野面積がしっかり残る。
石垣がしっかり残る。
本丸からの眺望。
本丸跡です。
本丸跡の残る石垣。
本丸虎口跡。
同じく虎口跡。
本丸跡からみる石垣。
二の丸跡。
二の丸跡から本丸跡を望む。
こんなところにも石垣が残る。
本丸。
素晴らしい眺望。
黒井城(保月城)の石碑
本丸から二の丸を望む。
本丸から虎口を見る。
算木積の石垣。
虎口の階段
本丸を望む。
本丸の石垣も残る。

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