松ヶ島城
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1580年(天正8年)に付近の田丸城が焼失したため、織田信雄が新たに城を築き、松ヶ島城と命名した。

伊勢神宮の参宮古道添いにあって伊勢湾に面し、海陸の要衝にあった。その後、信雄の家臣が城主となり、
最終的には豊臣秀吉の部下蒲生氏郷が入部した。1588年(天正16年)に松阪城を築いて城下町を移転させるまで、
氏郷は松ヶ島城を伊勢国南部の統治拠点とした。城下が手狭だったため、同年11月末日付で当城下の町人は
すべて松坂城下へ強制的に移住、参宮古道も松坂経由に変更され、松ヶ島城と城下町は廃された。

現在は幅約20m、高さ約2mの台地だけが残り、地中からは瓦片や茶碗が出土している。後世の松ヶ島村の検地帳には、
城之内、城之外、南の丸など城郭に関する地名や市場に基づく地名などが記録されており、往年の城下町がしのばれる(ウィキペディアから抜粋)

松ヶ島城の全景、昔はまわりは海。
今では本丸のあったところだけがわずかに残っているだけ。
城の場所を案内してくれた土地のおばさんの話では、昔は
松ノ木がもっとたくさん生えていたらしい。
城の案内看板がないと城跡とは気づかない。
本丸跡に、当時のものかどうかわからないが
五輪の搭らしきものがある。
松ヶ島城跡の碑
本丸跡からみる伊勢湾