美濃路 起宿を歩く


美濃路は江戸時代に東海道・宮宿と中山道・垂井宿とを結んだ脇往還道です。宮宿から垂井宿まで9つの宿場があった。
そのうちの一つが起宿で、木曽川を船で往来する渡船場や川湊もある重要な役割があった。
起湊は定渡船場、宮河渡、船橋河渡の3つの渡船場があった。天保14年の起宿は家数887軒、人口4091人、旅籠22軒、本陣、脇本陣各1軒であった。本陣は加藤右衛門七を襲名、問屋場を兼ね、脇本陣は林浅右衛門を襲名、船問屋と村庄屋を兼ねた。
起渡船場は木曽川の美濃路の渡しで、川幅500間約909メートル、将軍家や朝鮮通信使の通行の際、架けられた船橋は270艘以上の船をつなげた日本最大の規模であった。
脇本陣の林家住宅から船問屋の旧湊屋文右衛門邸まで歩いて20分程度の距離。

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