石田三成の史跡を訪ねる

2011年9月高蔵寺の自宅をマイカーで出発、春日井ICから入り長浜IC経由長浜市内へ、長浜城を見て石田三成の出生地石田町を訪ねる。

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石田三成といえば誰でも知っている有名な逸話。水汲みの井戸跡。
米原市朝日にある観音寺にあります。
長浜市石田町にあるここが三成出生地といわれているが
、何もない。後ろは墓場。
出生地の全体画像。背景は墓場です。
三成が幼少時に過ごした観音寺。
観音寺の山門をくぐってしばらく山道をいくと三成の水汲みの井戸がある。
これが井戸の拡大画像。いまでも湧き出ているようできれいに水が澄んでいた。
観音寺の本坊です。立派な長屋門。
観音堂の本堂です。重要文化財です。
本堂の右手奥には立派な建物が建っている。
本堂の正面両脇に京極家の門がはいった石物が目立つ。
本堂からの帰り道、かなり長い山道が門まで続く。
三成の邸宅跡。長浜市石田町にある。
かなり広い敷地であったらしく道の両側に邸宅跡の案内石碑が建っている。
ここで長浜城の歴史を少々。古くは今浜城といい、南北朝時代足利尊氏の重臣
京極導誉の家臣今浜六郎左衛門が創築した。天正2年羽柴秀吉がこの地に築城
、地名を長浜と改め、城下町を造営して、約7年間居城した。天正13年から18年まで
山内一豊が在城、その後内藤信成が入城、その子信正が1615年摂津の高槻城
に移ってから廃城となり建築物及び石垣の大半は彦根城に移築された。
彦根城の天秤櫓は長浜城の遺構と伝えられている。パンフレットより
秀吉が使った井戸跡、普段は水の中に沈んでいる。
長浜城の遺構は彦根城他に移築されほとんど残されていない。
石垣ぐらいしか残されていない
ここが天守閣跡。今建っているお城の北川にあった。
天守閣跡に太閤秀吉像が建っている。
ここからの眺めはいい。お気に入りのショット。
長浜城の石垣根石。
現在の長浜城は昭和53年に再興、二層の大屋根に望楼をのせた
初期天守の様式と案内パンフにあったが、石垣とのバランスがいまいち。
石垣がつぶれそうな感じに見える。
城の正面から撮りました。望楼の下の破風に注目。
拡大しました。秀吉の派手好みを意識してか黄金に輝く紋がはりついていた。
お城の望楼から琵琶湖に浮かぶ竹生島が見える。
琵琶湖の向こうに彦根城が見える。