大桑城
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承久の乱の功績により逸見義重が大桑郷を領地とし、子の大桑又三郎が桑城したとされる(1250年頃)。
また、守護・土岐定頼が1496年(明応5年)に改築し、その後は土岐頼純、頼芸が居城とした。
1509年には守護代の斎藤氏が台頭してきた事もあり、土岐氏は拠点を川手城から福光館に移し、さらに1532年に枝広館に移す。
1535年、長良川の洪水で枝広館は流失したため、当主の土岐頼芸は拠点を稲葉山麓に拠点を移した。
また、土岐頼純は越前国の朝倉氏の協力で大桑城を拠点とし城下町を開く。
1542年、斎藤道三に攻められ頼芸は城を出たが、尾張国織田信秀の仲介で和睦し帰城した。
しかし1547年、道三が再び侵攻すると落城して頼純は討死し、頼芸も本巣郡河内に逃れ、大桑城は道三によって焼かれた。 
 

大桑城の登山道登り口です。ここから約60分程度で頂上に着く
しばらく平坦な道を歩いていくと、本格的な山道になる
せまい山道が延々と続く。
団塊おじさんにはけっこうきつい登り坂が続いてる。
この場所に馬をつないでいたという。
このがけ下に井戸があるらしいが、危険なので遠慮した。
やっと頂上に到着、石碑には土岐頼芸城址とありました。
昭和63年に地元の有志がミュニチアの城をつくった。
麓で組み立ててヘリコプターで吊り下げて設置したという。
ここが頂上、407mとありました。
四国堀の跡です。四国から支援でつkられた。