大野城跡と常楽寺を訪ねる

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大野城は1350年一色頼光が築城。佐治氏4代の城があった。3代目佐治八郎信方は信長の妹、於犬の方を妻として信長に協力したが、伊勢長島の戦いで戦死。4代目与九郎一成は信長の姪小督(おごう)を妻とするが離婚。その後大野城は廃棄。おごうは、のち徳川秀忠の正室になる。現在、城跡には展望台が建てられ城山公園として整備されている。
大野城への上り口
登り切ったところに大野城跡の石碑が建っていました。
大野城の模擬城です。当時はおそらくこのような天守閣はなく、館程度が建っていたのでは。
天守閣から南を覗くと見張り台が見える。
西側を見ると遠くに中部国際空港の管制塔が見える。
西側には空堀があります。相当深い。
見晴し台に、佐治神社がありました。
4代目佐治与九郎一成の石の像がありました。佐治与九郎については日川好平著「海の城 佐治与九郎水軍記」に詳しく記されています。
常楽寺です。1484年西山浄土宗総本山粟生光明寺派、開山は法然上人第8世法孫で
、家康公の従弟にあたる。この
因縁で、家康公が三度にわたり、当山に逗留した
本堂に掲げられている常楽寺の文字。再建後に徳川義親氏が揮毫した。
庫裏
庫裏の屋根瓦に葵の御紋があります。
本堂です。本能寺の変で京見物の家康が、伊賀を越えて伊勢の白子から舟で知多のこの寺に匿われたと「徳川家康」に書かれている。
本堂にも葵の御紋があります。