大谷吉継の首塚と石田三成の遺跡を訪ねる

滋賀県教育委員会文化財保護課主催で「近江歴史探訪」の企画に参加した。

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大谷吉継の首塚です。
米原駅から徒歩15分の畑の中に
半間四方の祠堂に一石五輪塔が納められている。
祠堂の中の五輪塔。
吉継は関ケ原で敗れて自害。
首だけが葬られた。
奈良時代から中世にかけて栄えた畿内と
東国を結ぶ古代の湊。
朝妻湊から三成の居城佐和山城城を望む。
三成の辞世の句。ここから見た景色を読んだ。

「筑摩江や芦間に灯すかがり火と
ともに消えゆく 我が身なりけり

三成お手植えの藤。三成が当地を参拝した折に
藤一株を自ら植えて奉納したと伝えられている。
同じく三成お手植えの藤。
山内一豊の母「法秀院」の墓。
永禄2年(1559年)尾張岩倉城から落ち延びた
一豊と母は宇賀野で身を隠す。
そこで出会った千代を妻とし、
天正13年(1585年)には長浜城主となる。
母は翌年病でこの地で亡くなる。
水路が巡らされた宇賀野の水路。
坂田神明宮。祭神は天照皇大神。元坂田の御厨。
建武兵乱・応仁乱で焼失。のち井伊家が復興した。
神命宮の太鼓橋
JR坂田駅前にある山内一豊と千代夫人の像。「なでしこ」
司馬遼太郎の小説「功名が辻」ゆかりの地のシンボル。