2011年4月12日撮影 TOPPAGE 前に戻る
鎌倉時代、佐々木定綱の六男、佐保時綱がこの地に館を構え、15世紀中頃には、六角氏の支配のもとに小川左近大夫を城主とした。
戦国時代、佐和山城は度々戦乱の舞台となり、多くの武将の居城となった。なかでも、元亀元年(1570)の姉川合戦では、敗走した浅井勢の
磯野員昌が籠城し、8か月にわたる攻防がくりひろげられた。のちに「難攻不落の城」と称えられた所以である。
その後、丹羽長秀・堀秀政・堀尾吉晴と引き継がれ、石田三成のとき「佐和山惣構」の普請が行われた。
佐和山城を望む麓に登山道の案内看板がありました | |
佐和山城の全景 | |
難攻不落のお城の感じがでている。 今回は登らず次回トライする |
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佐和山城の大手門の表門と言われている。 彦根城に近い宗安寺に移築されていた。 |
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表門の礎石、佐和山城のもの |