中世の古城 杉山城、菅谷館跡を訪ねる
                                        2013.4.27 踏査
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戦国時代の山城、埼玉県比企郡嵐山町にある杉山城と鎌倉時代の名将畠山重忠の館跡を学生時代のサークルOBメンバーと訪ねた。
比企地域には69箇所の城館跡があり、関東を代表する中世城館の遺跡が集積。
菅谷館跡、松山城跡、杉山城跡、小倉城跡が城郭規模、築城技術等の特徴、良好な保存状態から
比企城館跡群として国史跡に指定された。


杉山城跡

東武嵐山駅から徒歩20分程度で杉山城が見えてきます。
高度な築城技術から「後北条氏の城」としていたが、その後の調査で、
それ以前の山内・扇谷両上杉氏の時代に築城されたことが判明。
平成20年に国史跡に指定。
大手道をしばらく進むと、大手口と出郭が見えてきます。
廓と廓をつなぐ細い道が続きます。
これは一気に外敵が攻めにくい構造になってます。
いくつもの廓が見えてきます。
自然をうまく利用した高度な技術が伺えます。
外廓の切岸
大きな井戸跡です。井戸に大きな岩が被せてあります
説明板には、廃城のおり、使用させないため石で塞いだとのこと。
このような大きな石をどのように運んだのか疑問です。
本廓です。
本廓跡で記念撮影。
切岸と連続する折れです。
敵からの攻撃を防ぐに効果的な土塁です。


菅谷館跡
鎌倉時代の名将畠山重忠の館跡。
国の史跡に指定。現在の菅谷館跡の形は戦国時代の城で、
須賀谷原の合戦の後に山内上杉氏によって
再興された「須賀谷旧城」と考えられています。(パンフより)
都幾川の断崖上に本郭があり、
ニノ郭・三の郭・西の郭・南郭が同心円状に配され
、東西は自然の谷を利用し、深く堅固な堀で防御されている。
菅谷館の石像でメンバーと記念撮影。
本郭跡に畠山重忠公の石像がある。
ニノ郭から三の郭を望む