東海道を歩く 由比宿から蒲原宿~吉原宿~原宿~沼津宿
2020年1月14日から15日 歩行距離 1日目 由比宿~蒲原宿~吉原宿 15km
2日目 吉原宿~原宿~沼津宿 17.6km 三条大橋から延べ歩行距離 370.1km
由比漁港です。ここからスタートしました。 | |
由比の町並みでよく見かける 「せがい造りと下り懸魚(げぎょ)」。 せがい造とはのきさきを長くした 屋根を支えるために、平軒桁へ 腕木をつけ足して出桁としたもの。 下り懸魚とは平軒桁の両端が 風雨による腐食を防ぐための装置。 雲版型の板に若葉、花鳥などを 彫り込み装飾を兼ねている。 |
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昔の東海道の名残。松並木が川岸に残る。 | |
大正時代創立の銀行。 | |
由比宿本陣跡。 本陣職を務めた岩辺家は鎌倉時代より 続く由比氏の系統で江戸時代は代々 岩辺郷右衛門を名乗っていた。 |
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慶安の変で有名な由比正雪の生家。 江戸時代初期から400年続く染物屋。 |
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由比一里塚跡。京から85番目、日本橋から39番目の一里塚。 | |
由比宿を出て蒲原宿へ向かう道。 | |
美しい格子戸の家があった。平安時代に初めて現れた建具。 伝統的な日本建築工法の一つ。 |
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旧五十嵐歯科医院跡です。 大正3年創建の病院併用住宅。 元宮内大臣の田中光顕伯爵も通院していたという。 |
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蒲原宿「雪之夜」の石碑。 歌川広重が描いた「蒲原夜之雪」の絵は、 東海道53次シリーズの中でも最高傑作と称され、 昭和35年に国際文通週間の切手になり、これを記念して 記念碑が建てられた。 |
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蒲原宿からみた富士山。 | |
素晴らしい景色です。 | |
岩淵一里塚です。両塚を残す、 日本橋から37番目の一里塚。 東塚の榎は枯死した為、 昭和45年に植樹しなおした。 |
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稲葉家住宅。 富士市指定有形文化財。 18世紀前期で富士市に現存する古民家では最古。 |
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小林本陣常盤邸。 間の宿岩淵の常盤家住宅。 代々渡船名主を務めた家柄。 小林本陣の役割も兼務した。 |
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富士川越に見える富士山。 | |
富士川を渡る鉄橋。 | |
富士川の河川改修を行った角倉了以を顕彰した石碑。 | |
富士川鉄橋から見た富士山。 | |
富士川鉄橋を歩いて渡る。 | |
どこからも見える富士山。 | |
富士川渡船場跡。 富士川を守る水神を祀る神社付近にある。 |
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雁堤です。 元和7年1615年から延宝2年1674年に渡り 建設された長さ2.7KMある富士川の堤防。 現役の堤防。 |
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頭に頭巾を被った道祖神。 | |
吉原宿にある老舗鯛屋旅館です。 創業は天和2年1682年よる330年以上の間 当時の場所で営業しています。 清水の次郎長、幕末の山岡鉄舟の定宿 としても有名な宿。現在も営業中。 |
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きれいに彩色されたマンホール。 | |
岳南鉄道がたまたま出くわしました。 富士市内の吉原駅と岳南江尾駅9.2kmを結ぶ。 |
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平家越の碑です。 このあたり一帯は治承年1180年、 富士川を挟んで平家と源氏が対峙した 富士川の戦いがあった場所。 |
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「左富士名残の松」の碑。 東海道を東から西に行くと、 このあたりだけ富士山が 左手に見えることから 左富士と呼ばれ名勝となった。 歌川広重もこの風景を描き、 わずかに残る一本の老松が往時を偲ぶ。 |
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白隠禅師生誕地碑です。 「駿河にはすぎたるものが二つあり、 富士のお山に原の白隠」と称えられた。 臨済宗中興の祖。 |
松蔭寺。かつて白隠禅師が住職を務めていた。 臨済宗古刹の寺院。境内には白隠禅師墓所は 禅師ゆかりのすり鉢の松があった。 |
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