富山城
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富山城は天文2年(1543)頃に神保長職(じんぼう ながもと)が、椎名氏の支配地であった神通川東岸の安住郷に築城したとされる。
天正10年(1582)織田信長の重臣佐々成政が越中の領主となり富山城に入城した。
成政は富山城の大規模な改修を行った。神通川の流れを城の防御に利用したため、水に浮いたように見え、「浮城」の異名をとった。
本能寺の変の後、豊臣秀吉と離れた佐々成政は、天正13年(1585)8月、秀吉自ら率いる10万の大軍に城を囲まれ降伏し、富山城は破却された

千歳御門。千歳御殿の正門として建てられた
富山城唯一の現存建築遺構。
門形式は三間薬医門(さんげんやくいもん)と
いわれる格式の高い城門建築で現存する
同形式の門は東大の赤門だけである。
昭和29年、模擬天守として建てられた。歴史博物館となっている。
ここから眺めるのが一番美しい。
当時の石垣。
佐々成政公の歌碑

「何事もかはりはてたる世のなかに
知らでや雪の白くふるらん」と読める。
本丸、二の丸跡
堀割り、浮き城いわれた雰囲気がわずかに残る