妻木城

 土岐頼貞の孫土岐明智彦九郎頼重が14世紀に築く。その後一族の妻木氏が領主となり、
1600年の関ヶ原の戦いに西軍の岩村城主の田丸勢を破った功績で7500石を所領した。
城は標高409メートルの山頂を中心に200メートル四方に曲輪、石垣、土塁などの遺構が残る。
北川の山麓には御殿と呼ばれる領主の館と家臣団の武家屋敷が築かれた。
妻木城主は代々と陶器の生産を奨励し、織部焼、志野焼等に代表される美濃焼の基礎を作った。

戻る

城山の麓に領主の館と家臣団の屋敷跡
立派な石垣である。東西約290メートル、南北340メートルと
かなり広い。
屋敷跡の広さがわかる
お城への登り口、結構傾斜がきつい。
約40分程度で頂上へ。
頂上近くになると大きな石がでてくる。
三の曲輪から、御嶽山がきれいに見える。
左手には南アルプス連峰も見える。
下を見れば土岐の町並が見える
二の曲輪址
頂上に到着、旗立岩といわれる大きな岩がある。
ここに旗を掲げたらしい。
一の曲輪址。妻木城のあと。
崇禅寺。草屋根の山門。
妻木城の領主の館の門を移築したと言われている。
土岐明智氏の初代頼重が1354年に創建した。
妻木城主代々の位牌や墓所がある。
立派な唐門
鐘楼門です。