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犬山城は木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた平山城である。別名、白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられる。

前身となる砦を織田信長の叔父である信康が改修して築いたものを石川光吉が改修し現在のような形となった。この際の建築用材は金山城の建物の一切を解体移築したという「金山越し」の伝承がある。江戸時代には尾張藩の付家老が入城し、成瀬正成以来、成瀬氏9代が明治まで城主として居城とした。現存する天守が建てられた年代については天文期説、慶長期説などがあるが、現在のような姿となったのは成瀬正成が改修した1617年(元和3年)ごろである。近年まで、城主であった成瀬家が個人所有する文化財であったが、現在は財団法人に譲渡されている。


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2010年10月23日 撮影
断崖の上にあるお城  拡大したところ  なだらかな石畳が続く 
堅固な石垣  野面積の石垣  お城正面の門 
国宝犬山城  現存するお城で一番古い  石垣の高さは5メートル 
天守から広場を見る  天守から木曽川を望む  天守から伊木山を望む 
天守の屋根の軒  天守2階の武器庫  急な階段 
城主の間  城主の間の天井  威風堂々としたお城