ieyasuosirorisuto.html へのリンク

吉良上野介のふるさと 吉良町史跡めぐり


     前に戻る      TOPPAGEへ

吉良家菩提寺の華厳寺山門、丁度12月14日吉良公の命日
に参拝した。
山門をくぐると急な石段になっている。
上りはいいが帰りはこわい
階段を登ると右手に吉良公が寄進した
鐘楼がある。
ここが本堂です。
吉良公の木造坐像が安置されている。
これが吉良公の墓
経堂です。吉良公が寄進した。江戸時代の建物
これが吉良公の木造。本人が大変きにいっており、
自分で顔に色付けしたという。
花岳寺です。吉良家の初代の菩提寺
吉良家の墓
吉良公が赤馬に乗って領地を視察している様子。
東条城。
足利義氏の三男義継が吉良荘東条を譲られ
東条吉良氏の祖となる。
以後14代義昭まで吉良氏は足利一門として栄える。
東条城の本丸へ。家康が信長と結び永禄4年東条城を攻め
14代義昭は降伏して東条吉良家は滅亡する。しかし天下を掌握した
家康は13代義安の子義定を旗本に取立て、吉良家を再興した。これが
江戸時代の高家吉良家のはじまり。
三の丸跡
虎口跡。大手門跡
本丸跡。後ろに見えるのは物見台
搦め手口跡
東条城の石碑
東条城を望む。東条城は家康が関東に移った後、廃城になる。
園融寺です。吉良の家臣、赤穂浪士と戦い死んだ清水一学の墓がある
吉良の五本松の内の一本
境内に大きなナギの木
吉良公が領民のために作った堤防
(黄金堤)
180メートルつづく。