これは模擬城で,平成元年に再建された。もとは尾張の守護職斯波義重が築き、 その後名古屋城築城に伴う「清洲越し」まで200年間、尾張の府城であった。 織田信長は桶狭間の合戦で、この城から出陣し大勝している。本能寺の変のあと、次男信雄が城主となって、三重の堀を構えた大城郭になる。その後、家康は清洲を廃都、名古屋に遷都する。天下の名城と賞賛された清洲城は6万都市とともにその姿を消した。名古屋城築城に際し、西北櫓は清洲城の天守の古材が利用され、清洲櫓とも呼ばれている。 |
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立派な大手門であります。門の両側は信長塀(本物は熱田神宮に残っております)で築いてありました。 | |
遠方に見えるこんもりした林が本丸跡。ここに清洲城があったところ。 | |
なかなか立派な城であります。天守閣の赤い欄干と壁の黒とが適度のバランスがとれている。 | |
昔の清洲城の石垣の下に太い木を敷いて基盤を強化していた | |
本丸跡に立つ信長公の像 | |
ここが本丸であったところ | |
上畠神社です。清須神明社ともいわれ、斯波氏の清須築城時か織田信雄の城域拡大を機に、城の鎮護として現在地に移ったされる | |
神社の境内には、幹周りが1メートル以上もあるおおきな木(名前は失念)がある。 | |
総見院の門前です。元々清洲城下の現在地に総見寺があったが、清洲越により名古屋に移った総見寺址に再興した寺である。信長ゆかりの供養塔、焼兜がある。 |