那古野城  2010.10.17踏査                                    TOPPAGEへ

那古野城の歴史

尾張国の東半分は永正15年(1518年)以降、駿河国の守護今川氏の支配下に置かれました。
そして、今川氏は最前線である現在のニ之丸辺りに那古野城を築きました。
尾張国勝幡城主織田信秀(織田信長の父)が、享禄5年(1532年)に奇策によって那古野城主
今川氏豊を追放し、ここを居城としました。 信秀はその後、那古野城の南方に古渡城も築き、
名古屋での勢力を強めていきました。 信秀のあとを継いだ信長は、清須城に拠点を移し、
天下は統一に向けて動き出していきます。信長が清須から小牧、岐阜、安土と居城を移して
いく中で、役割の薄れた那古野城は天正10年(1582年)ころに廃城となり、その跡地は雉が多く
住む野原となったと伝えられています。(名古屋城公式ウエブサイトより抜粋)


名古屋城二の丸跡にあったといわれる那古野城跡
現在は二の丸庭園となっている。小説「徳川家康」では、1534年天文3年5月に,この城で生まれたと書かれている。
10年以上前に訪れたときは石碑の文字が読めたが、今は判別できないほど磨耗している。
石碑の前に立つ那古野城跡の看板。
看板は新しいがーーーーーー。



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