桶狭間の戦い  信長方砦、今川方鳴海城址を訪ねる

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善照寺砦跡、信長側の砦跡、かなり高台にある。頂上に
登ると見晴らしのいい場所であることがわかる。
永禄2年、織田信長が鳴海城を包囲するために
築いた3砦(中島砦・丹下砦・善照寺砦)の一つである。
 永禄3年の桶狭間の合戦の時には、
佐久間右衛門(信盛)とその弟左京助が守将として配され、
今川方の武将岡部元信が守る鳴海城と対峙した。
 また、桶狭間に向かう信長の本隊が、
この善照寺砦・中島砦に集結し、
ここから桶狭間へと出陣して行った。

意外と狭い。ここに織田信長軍が集結したと歴史は伝えている。
丹下の砦跡。光明寺の後ろが砦あと。
砦らしき雰囲気が残る。
鳴海城跡です。戦国時代、織田信秀が修築して
山口教継を守将として配置した。
 信秀の死後、教継が今川義元に寝返り、
後に信長によって暗殺された。 
今川義元は、岡部元信を鳴海城に入れ織田方に備えた。
 永禄3年、今川義元が桶狭間で信長に討たれると、
岡部元信は信長に降らず、今川義元の首級と引き替えに城を明渡した。 
その後、天正3年まで佐久間信盛が居城した後、廃城となった。